中学生の頃、看護師だった母や会計士だった叔父のことを見て「医者か会計士になりたい」と漠然と考えていました。どちらも難しい試験だと聞いたので、ぜひそれに挑戦したいという想いがあったのだと思います。
その後はひとまず医者を目指していたのですが、高校2年生の時に父が癌になったことで勉強が手につかなくなり、医者を目指す気持ちも逆に薄れてしまいました。進路や学費の事も子供なりに悩み、進学をあきらめたこともありました。そんなとき、新聞で【会計士は企業のお医者さん】というようなキャッチフレーズを見かけて、最終的には公認会計士・税理士を目指すことに決めました。
叔父が開業したのは昭和36年。私が事務所に入った時、叔父は75歳でした。毎年2,3件ずつ顧問先が減っていく状況ではあったのですが、30代だった私は「営業頑張ってくれればいいから」という言葉を真に受けて、減っていく分の顧問先を増やそうと頑張って営業していました。とにかく素直だったんだと思います(笑)
当時、まだ会計事務所では一般的ではなかったホームページも作成し、検索順位を上げるよう取り組んだところ順調に顧問先が増えていきました。しかし安く受けてしまうことも多く、業績はすぐには良くならなかったです。
また、職員は叔父の代からの年上のベテランばかり。その知識や経験に救われることも多かった一方で、顧問先が増えて忙しくなることについてはかなり消極的だったので、頼み込んで仕事をしてもらうような状態でした。
叔父が作り上げた事務所体制にはすごく救われました。当時、女性の仕事は仕訳入力だけという事務所が多い中で、当事務所は女性もレベルが高く、申告書の作成も可能です。時代が変わり、いわゆる「パソコン会計での顧問先の自計」が進む中でも、記帳だけではない企業のパートナーとしての業務を安心して受け続けることが出来ました。
職員の平均年齢がどんどん上がることには不安がありましたので、お給料を上げ、人を増やし、お客様にも会計事務所が廃業することへの心配をなくしたいという想いから令和5年に法人化。新しいメンバーの取り組みに、若手社員への対応に不慣れなベテラン職員が難色を示すということもありましたが、少しずつ前向きになり、変化してくれています。
はい。やはり昔からの事務所なので属人化が課題でした。属人化が全て悪とは思いませんが、職員の年齢を考えてもノウハウや顧客情報を集約し、共有できるようにしておく必要があると考え、MyKomonを導入することにしました。
今まではベテラン職員がどんな業務も勝手に進めてくれたのですが、新しいメンバーが増えるとそうはいきません。進捗管理表や、顧問先ごとにどの資料を回収すべきか管理出来る資料回収管理なども活用しながら、10年20年先の事を考えた仕組み作りを行っています。
MyKomonはどんな世代でも操作がしやすく、うちみたいな事務所でも無事に定着しました。
「デザイン思考」や「コーチング」の勉強をしています。
税金の相談に乗るだけでなく、お客様が漠然と思っていることなどに関して整理をしたり、新しい気付きを得てもらったりと、「その人自身の答え」を導き、「一緒に取り組んでいく」ことをしています。
自身では気付きませんでしたが、会議や顧問先との面談の中で変化を感じていただけるようになってきました。今後もより勉強し、共に行動し、刺激を与え合い、成長していけるような存在となれるように精進します。
造語かと聞かれることが多いのですが、実際にある英単語です。
「Compathy」とは、共有する、共感するという意味があります。また、コンパスとも絡め、ロゴには方位磁石と葉っぱが落ちた後の波紋をイメージしました。
・お客様と喜びも悲しみも共有しながら、われわれCompathyが伴走者として、お客様に進んで行く方法を示しながら進んでいく。
・先が見えない時代の中で、私たちCompathyが変化をしながら、それを波紋となって広げていく、広がっていく。
そんなメッセージが込められています。
私自身、二代目経営者。
先が見えない時代の中で、従来と同じやり方では生き残ることが難しい、変化していかなければならない。
しかし先代が作り上げてくれたものを変えていくのはとても大変です。
だからこそ今、お客様と一緒に、前向きに変えていく事を挑戦しています。
共に行動し、進んでいきたいと思ってくださる二代目、三代目経営者の方、ぜひお気軽にご連絡ください。